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バルトの国 世界遺産スケッチ紀行

スケッチのページ
リトアニア1
リトアニア2
ラトビア
エストニア
おまフィンランド
絵の好きな連中とバルト3国とフィンランドへ2週間のスケッチ旅行ツアー
2005年5月25日(水) いきなりドイツで足止め
関空9:30発ルフトハンザ航空でドイツのフランクフルトへ…
ところが出発が2時間遅れ! 不吉な予感… お詫びに支給されたミールクーポン1000円券
でビールと餃子…食べたら元気をとりもどし、さあ出発だ。
12時間かかってフランクフルトに到着。しかし!乗り継ぎ予定のリトアニアのヴィリニュス行
きは定刻通り出発してしまっていた。ウッソ―!さすがドイツ?  やむなく翌朝の便に変更。
ルフトハンザから宿泊用洗面セットが渡され指定の InterCityHotel へ。
皆は不満たらたらだったが、夕食にワイン付バイキング料理。 おいしかったので.…つい…
これなら悪くないなぁ…と許してしまった私(笑)
5月26日(木)   VISAカードで入国OKに
朝食はモッツァレラチーズやエスプレッソもありルンルンでピース。
ホテルのインターネットを使ったがキーの位置がYとZが入れ替わっていた。代えたのはドイ
ツだ!?シャトルバスに全員乗れず、出国手続きに手間取る。ヴィリニュス行きフライトは
エンジンをうならせて我々を待機。急いで乗り込むとシートベルトを締める間もなく離陸(ホッ)
12:20分にヴィリニュス着。パスポートコントロールの女性審査官がなぜか私にだけ「メディカ
ル・イッシュを見せろ」と迫る。「エッそれって、何のこっちゃ?」とあわてる私。何のかんのと
冷や汗と泣きべそをかきながらVisaカードを見せたらOKに。そりゃ私は貧乏人ですけどネ…。
悪いことは続く。グループの一人のバッゲージが飛行場で出てこない。 それでも旅は続く。
リトアニアの首都ヴィリニュスは世界遺産に歴史地区として登録されており、いい雰囲気。
リトアニアのホテルの窓から
ここは、山がなく丘があるだけ。緑が深く教会がやたら多く、歴史に試された美しい街だ。
昼食はレストランでラビオリと白身の魚に生ビール。物価は安い。ウエートレスは美しい。
その後、現地ガイドによる市内案内。ソ連時代は教会が刑務所や倉庫や体育館に使われ
無神論博物館にもされていた教会もあると言う。住民を監視していたKGBは今はマフィア
になっている者が少なくないとのこと。警備とかマフィアなら得意芸かもね?
宿泊は Hotel Lietuva で22階建。  夕食のバイキングは昨日よりまずいが、やっとバルト
の国に着いたのだ、我慢。 風呂にお湯をたっぷり入れ、足をのばし、ゆっくり心身を癒す。
5月27日(金)   ナポレオンの上手を
このホテルではインターネットが無料で使えた。(^o^)丿 キーボードは日本と同じ配列だ。
メールやブログに存分に使用させてもらった。日本の友人から幾通かのメールが届いていた。
街へスケッチにでかける。ナポレオンがリトアニアを通過したとき聖アンナ聖堂の美しさに魅
せられ「わが国に持って帰りたい」と言ったそうだが、私はそれを絵にして持ち帰った。
バルト3国のうちでは、リトアニアの女性と子どもが色白で足がきれいで一番美しかった。
ヴィリニュス2連泊の予定だったが、フライト・トラブルのため昼からカウナスに向けて出発。
途中で湖に浮かぶトゥラカイ城を訪問。 美しくのどかな世界である。 ゆっくりとスケッチ。

湖で子どもたちが泳いでいた
カウナスまでの車窓は菜の花畑が満開。広々とした平地の牧場では牛や馬が草をのんびり
と食んでいる。ソ連時代は肉はソ連本国に持っていかれ食べられず、洋服もなく、もちろん
外国へも行けなかった。仕事はさぼっても給料は一緒なのでよかった?独立しモノは豊かに
なり自由になった。火力発電所が多いので今はロシアに電力を輸出していると現地ガイド。
ソ連時代の原発がありチェルノブイリと同型でEUに加盟したから閉鎖する予定だとも。
カウナスの杉原記念館へ。当地の領事管だった杉原千畝はユダヤ人がヒトラーの虐殺から
のがれるため日本経由で米国などに亡命するためのパスポートを日本政府の指令を無視
して発給を続け6000人の命を救った人である。館内に当時の資料が展示。必見の価値。
宿泊は Hotel Takioji Ners   行方不明だった荷物が無事到着。やっと皆で乾杯!!だ。
5月28日(土)   スケッチ三昧
土曜日は結婚式がおおく、旧市庁舎前広場は花で飾った白いリムジンやオープンカーが。.
今日は終日街中をスケッチし、川を越えて街を描いたりで大忙し。(絵を描きに来たのだのだ
我慢しろ) 昼食は朝食の残りのパンやチーズやサラミと果物にマーケットで買ったワイン。
夕方にもパステルカラーの町並みをスケッチした
5月29日(日)   夜10時半でも明るく、絵が描ける
無数の十字架でうまる十字架の丘を経て国境を越えラトビアの首都リーガへ向かう。
晴れていたので気温もあがり、5月なのに池や湖で子どもたちが泳いでいる。
国境では我々のバスに係官が乗り込みパスポートを集め、検問所でチェックしスタンプを
押して返してくれる。 国境ゲートを写真に撮ったメンバーがフィルムを没収された。
リーガもまた歴史地区として世界遺産に登録されている。20歳のロシア人女性がたどたどしく
ガイドをしてくれた。これが始めてだそうで皆は熱心に聴いた。来月、日本に行くと言っていた。
宿泊は HotelRiga リーガは人口80万人で、バルト3国で一番大きな都市。  
さっそく部屋の窓からスケッチ
ここまで来ると、なかなか太陽が沈まない。 夜10時30分ごろまで絵が描ける明るさである。
5月30日(月)   長袖にセーターを着込む
曇りのち雨になり、寒くなってきた。長袖にし、セーターを着込む。にもかかわらずホテルには
蚊がいた!刺されるとカ〜とくる。 さて、今日も終日街の中をスケッチして歩くのだ。
聖ペテロ教会
しかし、夕方になると雨になりスケッチができないので、ダウファヴァ川の遊覧船に乗り
フリードリンクのビールを飲みながら船のデッキから街をながめる。雨のリーガもいいもんだ。
ホテルに帰る。私の部屋は夕方になると風呂に湯がでない(ーー;)  シャワーでは寒すぎる。
5月31日(火)   私の車酔い克服術   
朝、蛇口をひねると湯がでたので朝風呂に入り、ワインをいただく。これもいいねぇ(^_-)-☆
市バスに30分ほど乗って民族野外博物館へ。バスの運賃は42円程度激安。足元は暖房
がしてあった。博物館はイマイチだったので私は早めに帰ってリーブ広場でスケッチ。
途中で小雨が降り、小屋の下に入って色をつけた。ホテルに帰って部屋の窓からスケッチ。
夕食はスーパーで買ったサンドとサラダとワイン。日本から持ってきたラーメン。食後には湯
を沸かしドリップコーヒーをたてて飲んだ。(ちょっと節約しすぎ…これも思い出じゃ?)
明日はバスで312km走りエストニアへ。 私はバスに乗るとすぐに酔っていたが今は大丈夫。
酔わない秘けつは、バスが右に曲がるときは体を右に、左のときは左に動かせば絶対大丈夫。
2005年6月1日(水)   夜2時でも空は白んでいる
今日はエストニアへの移動日。朝から雨。 バスはホテルを8時過ぎに出発。途中ラトビアの
スイスと言われるスイグルダに立ち寄ったが、風雨で景色を見ることもできない。 森には聴き
なれない小鳥の鳴き声やセキレイに似た小鳥がいた。 昼は道端のカフェ・レストランに入った
が、サラダやポテトや肉類など一品ずつを量り売りする方式になっていた。 国境を越えるまで
にラトビアのお金を使い切るため、隣のスーパーへ行きワインなど買い込んだ。
国境では女性係官がバスのトイレも開けてチェックした。30分ほどで全員のパスポートが返っ
てきた。ここの検問所には両替所もあり、日本円も現地通貨に両替してくれ、レートも悪くない。
首都タリンは歴史地区として世界遺産に登録され「山の手」と「下町」に分かれている。
宿泊は旧市街の入り口にある Hotel Viru で22階建。 私の部屋は6階だったが旧市街が
一望でき、バルト海も少し見える。それはいいのだが…バスタブがない(ーー;)
それならと「下町」を見学し絵になる所を下調べ。夜は2時ごろでも空は薄っすらと明るい。
6月2日(木)   マックやイタ飯屋で
朝から、現地の日本人ガイドに旧市街を案内してもらう。「山の手」の説明が終わったので
私はグループから離れてスケッチの単独行。
展望台から街をスケッチ
日陰で描いていたので寒くなってきた。温まるにはワインだ。昼はマクドで済ませ、お城周辺
をスケッチ。夕食はイタ飯屋に行きピザとアッリョ・オッリョ・ぺペロンチーニ。(食べてばかり?)
6月3日(金)   街はフェスティバル
朝から街の中と城壁などを見ながらスケッチをしてたのしむ。ここが一番絵になる街だと思う。
14:30から「タリン・オールドタウンディズム」フェスティバルが始まり私たちは大喜び。
ブラスバンド演奏、レース、民族舞踊などあちこちの広場や教会などで行われていた。
バルトの国ではライラックが満開で、街路樹は菩提樹が多く、白樺林が北国を印象付けtる。
夕方は旧市街のヴィル門からスケッチ。丁度仲間が通りかかったので街へ飲みにでかける。
6月4日(土)  日没は10時50分 本場のサウナに
今日はフィンランドのヘルシンキへ。出国審査をすませ、高速艇で1時間30分でヘルシンキ
港に着く。潮のにおいがしない港。冬は海が凍るので高速艇は4〜12月のみ運行という。
市内を日本人ガイドに案内してもらった。ピールもワインもぐ〜んと高くなり、レシートを見ると
消費税は22%だった。ヒエッー。飲ん兵衛はエストニアでアルコールを買っておくべし。
この国のことを少し。大学は留学生も含め無料。離婚率は50%を超えた。原因のトップはアル
中で暴力沙汰。若い女性が金髪を黒く染めて闊歩していた。今流行りだという。何〜んだ私と
イッショだ。(>_<)。 シベリウス公園では桜の花が咲いていた。ここでは花見は6月だね。
フィンランドは防衛は自国でするのだとNATOに加盟していない。核シェルターもあるという。
宿泊は Sokos Hotel Helsinki   ホテルの9階はサウナになっていた。素っ裸で現地の人
と一緒に入った。昨日から夏休で9月から新学期なので家族旅行だという。明日は日曜日な
ので交通機関も8時ごろからしか動かず、店は休みで、デパートも昼からしか開かない。
ヘルシンキ中央駅
6月5日(日)    美しい木造家屋の古い村 ここでもフェスティバル
朝からバスで1時間(片道1200円程度65歳以上は割引あり)フィンランドの古い町ポルヴォー
へ。ここは昔ながらの木造の家屋が今も健在で、スケッチするには魅力的なところだ。コレまで
高い石の建物ばかりを見てきたので木のぬくもりがうれしい。 うれしくなって5枚スケッチ。
2時からは祭りがはじまり大砲から空砲が鳴り響き、ブラスバンドや踊りがはじまった。
日没は10時50分。夜は親しいメンバーが集まり飲みながら絵の講習がはじまった。
6月6日(月)    私の時差ボケ防止術
いよいよ帰国。出発まで30分ほどあったのでホテル8階の窓から大聖堂をスケッチしたが、
着彩の時間なし。 旅の間、ずいぶんスケッチしたがこれで筆収めだ。
バスで空港へ。飛行機でフランクフルトへ。フランクフルトで関空行きに乗り継ぎ。
空港のインターネットもYとZが入れ替わっていた。 2時間あまり待って関空へ出発。
時計を日本時間にあわせ、機内食を食べるとすぐにアイマスクをして寝る体制に (^.^)/~~~
日本に朝着く時は、こうしておけば時差ぼけを防ぐことができる。夜の到着なら起きておくこと。
6月7日(火)   無事着
朝関空に1時間ほど遅れ8時着陸。 ケータイにメールが数件入っていた。
奈良に着くとむっとした暑さが待っていた。もうすぐ入梅なんだなあ。
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