■Home ■海外 ■国内 ■人物 ■迷画 ■日記地図 ■アルバム ■絵葉書 ■Links ■Profiles ■English
−Page12− ちょっといい話

チャイのおもてなし、ハマムの主人、町を案内してくれた少年などなど
トルコの人はなぜこんなに親切なのか?その秘密に迫るちょっといい話

その1
(エルトゥールル号の遭難)

1890年(M23)オスマントルコから国賓として587人が
「エルトゥールル号」(2,344トン)で訪日し、日本の大歓迎を受ける


イスタンブルへの帰路、不幸にして和歌山県串本沖で台風のため遭難


518名が死亡、69名が大島の人々の必死の救護で救助される
後日、生存者は見舞金とともに日本の軍艦でトルコに送り届けられた

余談になるが不幸な事件を知った山田寅次郎という人が、全国を歩いて
義援金を集めトルコに渡り外務大臣に届け、皇帝にも拝謁
寅次郎はトルコ側の要請でトルコに留まり日本語を教え友好親善に尽す
この時の教え子の中に、トルコ共和国初代大統領となるケマル将軍もいた



(串本にある慰霊碑、トルコにも慰霊碑が)

今もオスマントルコ軍楽隊が訪日すれば
串本の慰霊碑に必ずお参りする



★その2
(帝政ロシアの脅威)

その後、20世紀に入るとトルコは帝政ロシアから侵攻の脅威にさらされていた
そのとき日本が日露戦争でロシアの艦隊を破ったことから親日感情が最高潮に


(日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破る)


その3
(95年後の恩返し)

1985年3月17日イラン・イラク戦争の真っ只中の実話

両国は相手の都市をミサイル攻撃の緊迫した情勢。イラクのフセインは
「48時間以後に、イラン上空を飛ぶ航空機を撃ち落とす」と世界に宣言



イランに住む日本の民間企業職員やその家族は急遽テヘラン空港に集結
しかしどの飛行機も満席で乗ることができない

日本政府は対応がにぶく米国など同盟国に救援要請しても断られ絶望状況に
空港にいた215名の日本人は生命の危機にさらされパニック状態に

そのとき空港にトルコ航空機が2機到着しすばやく日本人全員を乗せ
成田に向け飛びたった。タイムリミットのわずか1時間15分前だった

トルコ人約500名は救援機に乗れず
陸路をクルマで苦労を重ねながら無事脱出

なぜ、同盟国でもないトルコの航空機が来てくれたのか
日本政府もマスコミも知らなかったという

元駐日トルコ大使ネジアティ・ウトカン氏は
「エルトゥールル号事故のとき大島の人たちの献身的な救助活動をトルコの
国民は忘れていません。私も小学生のころ歴史の教科書で学びました。
トルコでは子供たちでもエルトゥールル号のことを知っています。だからこそ
テヘランで困っている日本人を助けようとトルコ航空機が飛んだのです」

親日的で恩を決してわすれないトルコの国民性をうかがい知るちょっといい話

…恥ずかしながらこの史実をトルコ人ガイドから聞くまで私は知りませんでした…
目次へ Page11へ Page12 Page13へ <<もどります